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みなさまそろそろ吉田城について詳しくなっていただけたでしょうか…


吉田(豊橋)は、お城を中心として、周りを武家屋敷で固め、その外側に職業別に商人の家を配置した「城下町」だったのですが、
今でも城下町特有の町名、町人の商売に由来する町名などが残っているんですよ

例えば「曲尺手町」。読めますでしょうか…。
(豊橋にずっと住んでいるけど、子供の頃間違えて覚えていました…)

今回は、城下町特有の地名が今も残る町をブラっと歩いてきました
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船町(ふなまち)
隣の湊町(みなとまち。当時は田町坂下町とに分かれていました)と合わせて、江戸時代の豊橋のベイエリアといえる町です。
吉田城主の池田輝政より「船役」を命ぜられ、豊川の舟運で大いに栄えました

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史蹟「吉田湊」の碑。豊川の堤防にあります。
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上伝馬町(かみでんまちょう)
伝馬(宿場に常備されていた、荷物や文書などを運ぶための馬)を供給する「伝馬役(てんまやく)」を担っていた町です
ちなみに、名古屋市営地下鉄の「伝馬町駅」は、最近「熱田神宮伝馬町駅」に駅名変更されて話題になっていましたね。
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復元された「西惣門」。上伝馬町から湊町へ向かって歩いて行ったところにあります。

札木町(ふだぎちょう)
ここにお知らせを民衆に周知するための「高札(こうさつ)」が立てられていたことから、札木といわれるようになりました。
札木町は吉田宿の中心であり、本陣や旅籠屋などの宿場の機能が集中していました。
東海道沿いの老舗はコチラ↓でもご紹介しています。


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呉服町(ごふくまち)
呉服屋さんが多く軒を連ねていた、江戸時代のファッションストリートですね。名古屋や静岡にも「呉服町通り」があります。
着物関係でいうと、藍染め職人が多く住んでいた町は「紺屋町」と呼ばれていたそうです。こちらは現在「大手町」となっています。

曲尺手町(かねんてちょう)
曲尺手(かねんて)とは、敵に攻め込まれにくくするため、わざと直角に曲げた道のことをいいます。
豊橋市図書館のデータベース「とよはしアーカイブ」で古地図を見ると、道がカクっと曲がっているのがわかりますよ
(現在のGoogleマップと重ね合わせて表示できます。ブログメンバーも「おもしろい!」と何度も見ていました。)

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「三州吉田城図」より。東海道がカクっと曲がっているのがわかります。
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こちらは昭和19年の「豊橋市街地図」より。市電が広小路通りを走っています。



鍛冶町(かじまち)
吉田城の前身である「今橋城」築城の際、城主・牧野古白鍛冶屋を集めて、このあたりに住まわせたことに由来するそうです。

魚町(うおまち)
その名の通り、魚市場(魚河岸)があったといわれています
今でも「ヤマサちくわ」さん、「濱金商店」さんなど、魚介類を原材料とした豊橋名物を取り扱う老舗が並んでいます。
魚屋さんとしては、2019年にリニューアルした魚伊さんがこの町で営業されています。

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安海熊野社の境内にある「豊橋魚がしの趾」碑。今川義元時代、境内で魚市が開設されました。
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ヤマサちくわさんの本店。

萱町(かやまち)
史料ではっきりと確認はできなかったのですが、おそらく「かやぶき屋根」の職人が多く住んでいた町ではないかと思われます。
現代の萱町では「ストリートデザイン事業」が推進され、街路灯やマンホールもスタイリッシュなデザインとなっています。


吉田にはその他にも今新町・元新町(現在の西新町・東新町)、御輿休町(現在の新本町。天王社祭礼のときにお神輿の御旅所となったことから)、垉六町(現在の花園町。陶器などを製作・販売)などの町があったそうです。

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水野忠清の時代にできた「新銭町」の由来・新銭座跡。広小路の吉田天満宮前にあります。

地名っておもしろいですねみなさんも江戸時代にタイムスリップしたつもりで、かつての城下町をブラっと歩いてみませんか?

※下のGoogleマップを拡大すると、ご紹介した町の地名が見られます


文/カピバラ


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